THE LAST PENGUIN...

日々考えたことや誰かの役に立ちそうなことを書きとめておこうと思います。

高学歴の意外なメリットの一つとして忘れられていること。なぜ大学に行くの?

 

 

どうして大学に行くのか

なぜ大学に行かなければならないのか。高学歴だとどんなメリットがあるのかetc...よく耳にする議論だ。
大学は勉強するところだから、専門的な学問を修められるとかそういうのは当たり前ということで、副次的なメリットをざっくり挙げるとこんなところだろうか。

生涯年収が多い
社会的信用
質の高い人脈
就職に有利
モテる(笑)

時代は変化しているので、これらの意見には賛否両論あると思うが、こう言った話を聞くたびにどうして「アレ」をメリットとして挙げないのだろうか、と常々思ってきた。誰もそれに触れないので、そんなのはメリットと言えるほどのことではないのだろうか。私が思うほどに価値も無ければ、高学歴などそれほど考慮に値しないのだろうか、と。

 

高学歴の意外なメリットとは

そんな風に思っていたら、最近私と同じことを言う人に出会い、少し嬉しくなった。やっぱりそうだよな、と。
もったいぶったけど、その「アレ」とは、

 

「世界中どこでも好きな国に住める。」だ。

 

こう言い切ってしまうと少し大げさかもしれないが、高学歴が海外移住を実現するためのチケットとして機能するのは事実だと思う。
昨今世界中が不景気。国力を上げるためにも移民政策はどんどんシビアで戦略的になり、国に貢献できる有能な人物だけを誘致しようと躍起だ。一方、インターネットの出現などにより国のボーダーは曖昧になっていく。そんな時代に、生まれた国があなたにとって最も住みやすい国であり続ける保証などどこにもない。現に日本は少しずつ世界におけるプレゼンスのみならず、住みやすさという点でも、その優位性を失いつつあるというのが、大方の見方ではないだろうか。

 

住みやすい国には世界中から有能な人が押し寄せる

住みづらいからといって簡単に外国に移住できるかどうか、するかどうかは議論があるだろうが、家族が少しでも幸せに生きられるなら様々な可能性を検討したいと考えるのは皆同じだ。
教育、仕事、老後の生活、安全性や税金等、様々な事情で海外への移住を検討する人は増えており、少しでも住みやすい国や都市には世界中から人が集まる時代なのだ。ただし、日本のパスポートしか持っていない人が海外に移住するのはそんなに簡単なことではない。

どの国も移住者の受け入れには様々な条件を設けており、状況に合わせてその条件を変更している。しかしながら、それらの条件とは突き詰めれば「国に貢献する能力を持ち合わせているかどうか」ということに尽きるだろう。かつてはそれが経済力でも認められた。お金さえあれば経済力で貢献することにより投資ビザを発行してもらえる国は多かったが、現在では少なくなりつつあるようだ。
一方で、一流大学の卒業資格、というのはまだまだ主要な切り札として機能している。
シンガポールのビザに限って言えば、その基準が非常にシンプルだ。卒業大学、仕事の報酬、年齢。ほぼその3つの情報でビザが発給されるかどうかが決まると言っていい。これからの日本を考えて、将来自分が住む場所を国内に限りたくないな、と思うなら、高学歴は案外役に立つかもしれない。

 

 

言葉にだけ頼らないコミュニケーション力。知らない言語で話しかけてきたおじさんに子供はどう返す?

 

 

バスの中で突然、理解できない中国語で話しかけてきたおじさんに4歳の子供はどう返す?

保育園に通いだして間もないある時、バスに乗り合わせたおじさんが息子に向かって笑いかけ、中国語で何かを問いかけた。すると息子は一瞬じっとおじさんの顔を見つめた後、にっこり笑いながら指を4本立てて(4歳!)おじさんに突き出した。おじさんは納得したように大きく頷くと、その後も何か話続けていた。
バスを降りた時息子に、「おじさんの言っていることわかるの?すごいね!まだ中国語はわからないかなと思っていたのに!」と言うと、「え、全然分かんなかった。」と。でもちゃんと4歳だと返していたではないか。よくよく聞くとあれは反射的にやったことらしい。確かにこちらの人は初対面でも子供によく話しかけてくる。そしてそんな時の質問は高確率で「いくつ?」だ。もちろん他の質問のこともあるが、シチュエーションと相手の表情から彼は「いくつ?」だと判断したのだろう。そしてその返しはおそらく正しかった。仮に間違っていたのだとしても、「バスで隣り合わせたおじさんと4歳の子供のコミュニケーション」としては申し分なかった。

 

どんな言語で話しかけられても、戸惑うことなどなかったはずなのに

考えてみれば、生まれてから日本語が理解できるようになるまで、赤ちゃんはその繰り返しで周りの大人とコミュニケーションを取り、単語一つ一つの意味を探り当て、言葉を習得してきたはずだ。それなのに相手の話す言葉が理解できるのが当たり前になると、いつからか、知らない言葉に対して臆病になってしまうのだ。
しかし彼のケースでは日本語を理解すると同時に、そこに少し英語が加わった。そしてシンガポールに来てからは中国語も。彼の周りにはいつも知らない外国語が飛び交い、少し言葉として理解できるようになると他の言語が加わってきた。いつも知らない言葉がそこにあるのは当たり前の環境でこれまでやってきたのだから、知らないおじさんに知らない言葉で話しかけられようがどうということはない。これまでどおりのやり方で精一杯答えるだけだ。

 

 

言葉に頼らないコミュニケーションセンス

自分の子供の言語習得(シンガポールにきてから習熟度合はともかく中国語を含めて身の回りの言語は3か国語となった)の過程を見ていると、子供は必ずしも「言語」だけでコミュニケーションをとっていないことに気づかされる。もちろん大人でもそうだが子供においてはそれが顕著だ。
何語で話しかけられようが相手の表情と場の雰囲気を察して直観的にボディーランゲージを含めて対応している。
それがどんなコミュニケーション手法であるにせよ相手の呼びかけに対する的確な回答であったときには私も驚いたものだ。もちろんとんちんかんなやり取りとなることも多いだろうが、このようなやり取りの繰り返しが言語習得に限らないコミュニケーションセンスを育んでいることは間違いないのではないだろうか。言語のみならず人種も文化も入り混じるこのシンガポールで成長するメリットの一つかな、と思っている。

 

海外移住、子供の小・中学校はインターナショナルスクールより日本人学校を選択するべき5つの理由

海外移住の際に、せっかくの機会だからとインターを選択する傾向はますます強くなっていると思うが、今回はあえて日本人学校を選択することのメリットを考えてみた。ただしメリットとデメリットというのは表裏一体であることも多いので、日本人学校以外の選択肢を否定しているわけではなく、一つの考え方として捉えてもらえれたらと思う。
 
 

1.質の高いレベルで、日本人としての教育が受けられる。

シンガポール日本人学校では、他の日本人学校と同様に日本の文部科学省が定める日本のカリキュラムで授業が行われる。「質の高いレベル」とあえてつけたのは、総合的に考えて学力レベルや施設の充実度などが日本の公立校と比較しても高いレベルに保たれている、という意味。通っているのが駐在員家庭の子供というのが中心になってくるので総じて教育熱心な家庭が多い印象。そして学校の規模だが、海外の日本人学校となると場所によってはかなり小規模で閉鎖的な人間関係になることも多いが、シンガポールには日本人が4万人弱いることから、学校規模やクラスの数も日本国内の学校に引けをとらない。
 

2.英語教育のレベルが高い

シンガポール日本人学校では、日本のカリキュラムを踏襲しながらも「使える英語」を目指した教育がされている。小学校では、1年生から英語の授業があり、なんと12段階の習熟度別授業が行なわれている上、教師のほとんどはネイティブスピーカーである。現地でインターやローカル幼稚園に通った子供や両親のどちらかが外国人である子供の入学を考えるとそのような習熟度別授業が必要なのも納得できる。
4年生までは週に3回、5年生からは週に4回という充実ぶり。日本で英語教育義務化が進められている現在だが、それと比較してもかなりの充実度と言えるだろう。そして中学校では体育、音楽、美術といった教科で英語のイマージョン教育が取り入れられている。子供の英語力に沿ったレベルでの学習ができるというのは非常に魅力的な環境ではないだろうか。

 

3.第一言語が日本語になる

当然だが授業は基本的に日本語で行われるので日本語の習得が可能。特に小学校の6年間は母国語の習得に非常に大事な時期になるので、海外に居ながらにして、この時期に日本語をしっかり確立できるのは当たり前のようでいて最大のメリットになるのではないだろうか。
バイリンガルを目指して、インターナショナルスクールに通いながら日本人学校の補習校に通う子供も多いが、日本語が伸び悩んだり、子供への負担が大きくなるケースは多い。その他、特にヨーロッパでの例として家では母国語、学校で現地語といったバイリンガル教育であれば、苦もなくバイリンガルに育てられるかのような話をよく聞くが、日本語と英語のバイリンガルというのは、文法構造の違いなどの問題から同じように簡単にはいかないことが多いようだ。
そして子供の日本語がしっかり確立した時点でインターへ編入したり英語教育を始めることは可能だが、その逆は難しい。日本へ帰国の予定がある場合には日本語はしっかりと習得しておかないと子供自身の後々の苦労は計り知れないばかりか、子供の一生を左右する問題になりかねない。特に小学校低学年でインターナショナルスクールを選択する場合は、相当な努力をして日本語を同時学習しながらも、第一言語を英語にするくらいの覚悟が必要ではないだろうか。そのような覚悟と決断を、この時期にするのは本人の意思や特性ををしっかり見極めるには幼すぎるという意味でも大きな賭けになる可能性を秘めている。
将来の選択肢を広く保っておくという意味では、日本人学校に価値があるように思う。
 

4.学校以外の時間を自由に使うことができる。生活にゆとりが持てる

海外でインターナショナルスクールに通う子供たちの共通の課題は、言わずもがな日本語習得や日本のレベルでの学業に遅れをとらないことになってくる。特に数学や科学の学習到達度は、世界的に見ても日本のレベルはまだまだ高く保たれている。それを押してでもインターナショナルスクールを選択する事情がそれぞれにあるのだと思うが、この課題は並大抵のものではなく親子揃っての努力が必要である。毎週土曜の補習校への登校や、夏休みには日本に帰国し、日本の学校に通う子供もいる。そういった努力は将来必ず大きな力となり、役立つものとなるだろうが、一方でこの時期に費やす労力や時間をどのように考えるかというのは難しいところだ。それらの時間で今しか出来ない事が他にもたくさんあるのも事実ではないだろうか。

 

5.学費が安い

「安い」と言えるかどうかは、何と比較するかによるが、ここではシンガポールの日本人学校以外のインターナショナルスクールと比較しての事だと理解してほしい。シンガポール日本人学校は私立校なので、日本の公立校と比較した場合には学費は高い。(ただ、この物価高の中で生活していると、この学費を心から「安い」と思ってしまうところが恐ろしいのだが。)小学部、中学部により差があるが大体月額700〜800ドル。月額2,000ドル前後からと言われる他のインターに比べたら破格の安さなのである。
 
 
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以上、ローカルやインター校に対しての日本人学校のメリットを考えてみた。もちろんこれが正解だと言いたいのではない。各家庭の事情により考え方は様々だろう。仮にすでに結論が出ていたとしても、思考を止めずに考えてみよう。とかくインターor日本人学校、と二者択一になりがちだが、どちらか一方と決めてしまうのではなく、それぞれのメリットを子供の成長に合わせどのように組み合わせたら良いのか、我が子の教育環境について各家庭なりの最善はどのような形であるのか、戦略的に考えてみる価値はあるとおもう。実際には学校をあちこち転校したりすることも簡単ではないと思うが、せっかくこのように様々な選択肢のある環境があるからこそ、柔軟に思考を広げてみると新たな気づきがあるのではないかと思うのだ。

 

 

シンガポールの教育環境はどのように魅力的か。日本人にとっての意外なメリット。

シンガポールに来てから、子供の教育について考えさせられることが度々ある。特に思うのは、シンガポールに滞在していることは子供の教育おいてどんなメリットがあるのだろうか、ということだ。
よく聞くこととしては、英語の習得、中国語の習得、世界一高い教育レベル、グローバルな生活環境等、様々な期待がありそうだ。学校の選択肢も非常に多く、日本人学校、ロカール校、インターナショナル校があり、どのようなニーズにも対応できそうな環境に思える。
 
英語習得の機会というのは、日本で生活することを考えればそれなりに貴重な環境であろうし、シンガポール移住となればせっかくの機会だから是非子供をインター校で学ばせたい、と考えるのも無理はない。ただ実際に周りの様子を見ているとなかなかそう簡単にはいかないことがわかる。
日本人の義務教育期間の子供に限定して考えるとき、シンガポールにおける幅広い教育の選択肢は本当に豊富な選択肢として機能するのかというと、かなり疑問が残るのだ。
 
理由はともあれ、子連れで海外生活をすることになれば教育環境の選択はどの家庭でもそれぞれに試行錯誤しているだろう大きな問題だ。子供の年齢・性質、現在や将来の環境、親のバックグラウンド等によって状況は変わってくるだろうし、不確実な未来のことを考えれば尚更、言語や学校の選択に正解というものはないからこそ悩む。
一方で、特に駐在員家庭のような、両親共に日本人かつ滞在期間が不明確な家庭にとって、子供をインターに入れて良いと思えるような状況というのは実はかなり限定されるのではないか。(そもそも経済的な事情でインターは選択肢から外れる、というケースはここでは横に置いておく。)

 

シンガポールで子供にインター校を選択しても良いのはどのようなケースか?

  1. シンガポールの滞在期間が1年または2年程度とかなり限定的。日本への帰国が確定している場合。
    このようなケースなら子供の英語力に合ったインターを選択するのも良いだろう。英語や異文化に触れる良い機会だと捉えられる。このくらいの期間なら、本人と両親の努力があれば帰国後の勉強についていけなくなるリスクも少ない。
  2. 今後も海外生活基盤として生活するなど、第一言語を英語とする覚悟がある場合。(両親の片方だけが日本人だというケースなどはこのように割り切っている家庭が多いようだ。)または義務教育期間の終了までにシンガポールから他の外国に行くなど、日本語による良質な教育環境が望めず英語環境での教育となる可能性が高い場合。
    つまり選択が積極的か消極的か、という違いはあれど義務教育期間(特に小学校期間)に英語での教育を受けることで第一言語が英語になることを受け入れられるケース。
 

シンガポールでインターを選択するリスクとは?

仮にどちらのケースでもないのに、シンガポールでインター校に入れるというのであればかなりのリスクを伴うのではないだろうか。インターに行きながら日本語力を向上させていくのはかなり難しく、思ったようにいかないケースを多く見かける。母国語と英語の同時習得について、例えばヨーロッパの言語を第一言語とするような子供と日本語を第一言語にする子供を同じように考えることはできない。
加えて英語力のみの向上を考えた時にもシンガポールは難しい側面がある。というのも35,000人もの日本人が生活するシンガポールで、苦労なく入れるインターというのはすでに多くの日本人が通っているということであり、またこれだけの外国人が生活するシンガポールに於いてはインターに通う子供も非英語圏からの生徒の割合が多い。つまり英語圏のローカル校に通うケースと比較して英語の上達に大きな差が出るのは否めない。英語を第一言語にする覚悟をしてすら、その習熟レベルについては学校任せにしておけない事情があるのである。このギャップを埋められるのは、両親のどちらかがネイティブの英語話者のケースくらいだろう。
 
一方、シンガポールの日本人学校というのは大変恵まれている。ある程度大規模な小中学校が存在し世界的に見ても日本語に於ける十分な教育環境が整っている。決してまともな日本語教育が望めないから仕方なくインターへ、というような状況ではない。しかもこの日本人学校で受けられる英語教育も、日本の公立校と比較すればかなり充実しているのだ。
 

日本人にとって、子供にシンガポールで教育を受けさせるメリットとは何か?

先の見通しを考えて日本語を犠牲にしても英語を優先する、という考えもあるだろうが、小学生や中学生ではまだ子供自身の意思もはっきりしない時だろう。子供の意思をしっかり確認せずに決断するにはあまりにもリスクが高い。
名実ともに日本人になるべく日本の教育を受けながら英語も勉強することができれば、将来国際的に通用する英語力を身につけることも可能だろう。しかしその逆はどうだろうか。義務教育期間を終えて以降に、日本人としての教育をあとから身につけるのはなかなか難しい。
 
つまり大方の日本人家庭にとって、シンガポールで生活する、またはシンガポールで子供に教育を受けさせることの大きなメリットは、「日本人としての教育、日本語教育」を外国に居ながらにして質の高いレベルで受けられる、という風に逆の発想をした方がしっくりくるのではないかと思うのだ。日本で生活するのと同じレベルで日本の教育を受けながら、このようにグローバリズムを身につけたり、余力があれば他国語の習得環境にも恵まれている国というのは、なかなかないのではないだろうか。

 

 

3歳で英語環境にすぐ馴染んだ息子に家庭でしてきた幼児むけ英語教育8つ

昨今海外駐在や移住は特別なことではなくなっているが、我が家では将来海外移住や駐在という可能性もあまりないだろうと感じていた。したがって私の場合、将来英語環境に移る事を想定して子供に家庭での英語教育を意識したわけではない。ただ常々、子供にとって英語(語学)は勉強したり習ったりするものではなく「使って覚えるもの」であるべきだと感じていた。もちろん目的次第で勉強も必要になるのは承知だが、幼い子供の英語習得を考えた時の最初のステップとしては、できる限り習うより自宅や家庭で「使う」というイメージで英語を生活に取り入れ、自然に身近に感じることができるようにしたかった。
 
結果的には、子供が3歳の時にシンガポールへの移住が現実となり、検討の末(*別の機会に書きたいと思うがシンガポールの教育環境は非常に選択肢が多く、子供をどのような学校に入れるかは非常に悩むところ)ローカル幼稚園に行かせることとなったが、英語についてはほぼ抵抗なく、よく聞く「英語イヤイヤ期」といったことにも無縁で、幼稚園の先生からも「彼はこれまで英語環境にいたことがあるのか」ということを聞かれたくらいだった。そして意思疎通ができるようになるまでの期間も早かったようだ。一方初めて触れた中国語については、明確な拒否反応があった。
子供が同程度の年齢で海外移住した経験を持つ知人からも、子供が英語環境になじむのには少し苦労があったことなどを聞くと、日本で家庭でやっていたことが意外に役立ったのではないかと思うので少しでも幼児期の子供の英語教育を考える方の参考になればと思う。 
 

 

 

1.自宅で一緒に英語の歌を歌う。

Youtubeで「kids, song」などと検索すると英語の子供向けの歌がたくさん出てくる。「一緒に」というところがポイント。一人で見せておいても効果は薄いとおもう。「Twinkle twinkle little star」等、知っている曲でいいので英語で一緒に歌ってみよう。日本語でキラキラ星を歌うのと一緒だ。ついでに英語版をレパートリーに入れるだけ。ちなみにYoutubeで一つ動画をみるとたくさん類似のおすすめ動画が並ぶ。いくつか再生しているうちに、子供が気に入ったものがあれば、お気に入り登録しておこう。Youtubeは玉石混合なのであれこれやたらにみるより、一緒にまた見たい動画を選ぶとよい。

2.英語でアニメを見る。

1とほぼ同様だが、日本語でアンパンマンやドラえもんを見始めるころになったら、そこに英語のアニメを加えると良い。まだ言葉が拙いうちは日本語のアニメだって全部理解しているわけではないので、英語版も抵抗なく楽しめるはずだ。うちではそういった英語アニメの中にも2つ、3つ、お気に入りができ、そのシリーズを繰り返しみていた。既に2歳、3歳になってある程度日本語が話せるようになっていると英語番組には抵抗を示すと思うので、子供の大好きなテーマで絵を見ているだけでも楽しいと感じられるようなものを選ぶとよい。そして、絵だけでストーリーを想像できるようなもの。見終わった後に一緒にどんなお話だったか確認し合うのもよいだろう。 

3.英語でストレッチや、ダンス、ヨガなどを一緒にやる。 

インストラクターが英語で声をかけながら一緒にやっているような動画を見ながら一緒にやると良い。自宅でならちょっとした隙間時間にできる。動きを一緒にまねるだけなので言葉にストレスを感じずに楽しめるはずだ。「kids, yoga, dance」といったキーワードで検索してみよう。
 
 ※歌を歌うのも、アニメを見るのもYoutubeだと、見せたくない広告動画に子供の関心がむいてしまうことがある。そういう場合はDVDを購入するのもよい。同じ動画を繰り返し見ることでストーリーにそった言葉を学べるし、時間を決めて見るのにも適している。  

4.一緒に英語の本を読む 

簡単な本でいい。うちでは最初は絵と単語がワンセットでたくさん並んでいるだけのものを、一緒に読んでいた。一通りおぼえた頃に「Which one is a car?」といった簡単な話しかけで、絵の中から選んでもらう。次は「Is this car red or green?」とか「What is this?」と指さして、英語で答えてもらう・・・といった感じ。幼児向けの英語の本を何冊か購入して、寝る前の絵本タイムのレパートリーに加えるとよい。

5.お風呂では英語で話しかける 

バイリンガル教育というのは本来、一人一言語。子供に対してある人が日本語で話しかけるなら、誰か別の英語話者と英語で話す、というのが大原則になる。ただそのようなことは両親共に日本人の家庭ではむずかしいだろう。かといってこちらの気分次第でわかる単語や言い回しだけ英語というやり方では子供も混乱するはずだ。そこで私は、人で分けられないなら環境で分けよう、と考え、「お風呂で英語」を実践した。といっても堅苦しく考える必要はない。なぜならお風呂で使う言葉や言い回しは、かなり限られているのだ。たとえば、「服を脱ごうね。」「湯船に入ろうね。」「(おもちゃが)水に浮かんでいるね。(沈んじゃったね)」「寒くない?」「体を洗おう」「(追い炊きの)ボタンを押してくれる?」「ドアを開けてくれる?」「パンツとってきて」等々。 
ちょっとハードルが高いと思うなら、まず一つだけ選んで2,3日同じことを繰り返し語りかける。くりかえしていれば子供も理解するので、覚えたころにもう一つ加える。そのようなやり方で英語の割合を増やしていけば、英語が苦手な方にも継続できるのではないだろうか。そのうちルーチンワードについては、理解できるようになってくる。
その他、湯船で一緒に簡単な英語の歌を歌をうとか、お風呂にiphoneを持ち込んでいるなら、お風呂で見るアニメだけは英語版にするのも良いかもしれない。 
子供はすでにあなたが日本語を理解することを知っているから、その成果として子供自身が英語を発するようになることはおそらくない。それでもまずはそういった語りかけから文法の法則性を無意識に学んでいくし「英語を学びたい」という意思を持てる年齢になったときに、英語を発するまでの苦労は和らぐだろうと思う。 

6.外国料理を食べに行ったら、あいさつだけはその国の言葉で

言葉を学ぶとき、その背景には文化がある。言語だけ切り取って学んでも習得はなかなかむずかしいのではないだろうか。そこで日常の中にある異文化とのふれあいを大事にしたい。 
私は、子供と外国料理を食べに外食に行くとき、その国のことや言葉等、自分の知っている範囲で子供と話をした。そしてそのような店にはその国出身のスタッフがいることもよくあったので、そんな時は挨拶だけはその国の言葉を教え、その国の言葉であいさつするように促した。もしその国の挨拶を知らなければ、そのスタッフに聞けばいい。仕事の邪魔にならない程度のコミュニケーションには快くこたえてくれるし、特に子供に対してはみんなとても優しい。
世界には日本以外にもいろいろな国があるらしいこと。日本語以外にも言語があり、自分とは異なる言葉で話す人もたくさんいるらしいこと。食べるものにもそれぞれ特徴があるらしいこと、等を自然に学ぶとても良い機会だ。大人にとっては知識として当たり前に知っていることも、日本しか知らない子供にとってはなかなか知り得るチャンスがない。こういったことを少しでも体験として学んでいくことで、英語を勉強することの楽しさや、異なる文化への興味が湧いてくると思う。 
その他、その延長で食卓に並ぶ外国産の食材について話題を振ってもいいし、テレビで見る外国についてはなしをしても良い。英語とのふれあい、レストランでの経験、食卓のフルーツ、テレビで見た景色・・・そういったものがだんだんつながっていくと楽しいものだし、そこから子供なりの思いや考え、外の世界への関心等が生まれてくるのではないだろうか。 

7.世界地図を見る

世界について書いてある本を、子供の年齢に合わせて用意するとよい。3歳くらいになったら、「今ここにいるよ。」「ママはここに行ったことがあるよ。」「この辺には動物がいっぱいすんでいるよ。」「このあたりは寒くて氷ばかりだよ。」「この辺はすごく暑くて砂漠があるよ」「カンガルーや、ワラビー等変わった動物がたくさんいるよ」等といった調子で絵や写真で表現してある本を一緒に見ながら話ができるようになる。だんだん「どうしてそうなのか?」という疑問もわいてくるだろう。もう少ししたら自宅に地球儀を用意しておくとよい。「国」についての話が出た時、自分で地球儀をもってきて「それはどこのこと?」といった感じで聞いてくるようにもなるだろう。 

8.旅に出る 

できれば旅に出よう。外国に行かれればいいが別に外国でなくともよい。国内だって所変われば名物もあるし、話す言葉や習慣に変化があることだってあるはずだ。その小さな変化が世界が広がるにしたがって大きくなり、多様になっていくだけの事なのだ。もちろん外国に出ればその変化はとても大きなものになる。環境、人種、言語、通貨、食べ物、季節・・・すべてが一変し、その体験がこれまで学んできたこととまたつながっていき、自分のいつもの環境を相対的にとらえることもできるようになるだろう。 
 
ところで、よく聞く話に「あまり小さなときに旅につれていっても忘れてしまうから意味がない。」ということがある。だからせっかく外国に行くならもっと大きくなってからが良い、と。しかし本当に意味がないのだろうか。確かに大人になったとき、3歳の頃の旅の記憶はなくなってしまうかもしれないから、子供にとって「思い出」にはなりにくいかもしれない。 しかし成長の観点で言うなら、「日々の学び」というものは「それまでの学び」が前提になるものだ。前提として知っていることが多ければ多いほど、新しいことを学んだときに多様な解釈ができるし、深い理解ができるだろう。たとえばある国に行った経験なくしてその国の話を聞くのと、経験を持った上でその国について聞くのでは、理解の深さが異なる。日々その繰り返しだとすれば、ある貴重な経験をすれば、それはその後に来るすべての経験に影響を与えるかもしれない。小さな頃の旅の経験は決して無駄にはならないし、時間がたつにつれてその価値は増してゆくのではないだろうか。 
 
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改めて書き出してみると、たいそうな教育ママのようだが、あまりそのようなつもりはなく、あくまで日々の生活の中、家庭で自然に楽しく学べたら、というのが私の思いだった。上記のことがらも、思い出したタイミングで実践した、という程度だ。 子供の学習の過程というのは本当に見ていて面白いものだな、と思う。ある時、ひらがなを教えようと思っても見向きもしてれくれなかった子供が、別の時には勝手に、本を見ながら画用紙に文字を書こうと格闘していたりする。きっとその子にとってはそうやって関心を持ったときがそれを学ぶのに最も適したタイミングなのだろう。
 ことに語学学習と言うのは簡単ではなく、小さな頃に外国で暮らし流暢に英語を話している子供でさえ、日本に戻ったらみんな忘れてしまうと言うのもよく聞く話だ。ネイティブレベルで1つの言語を高いレベルに保つには毎日最低2時間はその言語に触れていなければ維持できないと言う。多くの努力をしても使わなければ忘れてしまうと言う性質も私が言語を勉強するよりも使うべきだと考える理由の1つである。 子供においては中学生、高校生、と成長してゆけばなおさら親の思いなどどこ吹く風で、まずは本人が興味を持たなければ言語の習得と言うのは難しいだろう。 親としては、できるだけ自然な形で取り入れられる環境を整え、ゆくゆく本人が本気で勉強したいと考えたときにこれまでの経験が少しでもその役にたてば良いと思っている。