THE LAST PENGUIN...

日々考えたことや誰かの役に立ちそうなことを書きとめておこうと思います。

海外で子育てすることのメリット6つ。シンガポールの場合。

今日は海外での子育てについて。「子育て」中心に見た海外生活のメリットってなんだろう。日本を離れてみて感じた子育てやその環境のことを書いてみたい。
 
 

1. 「多様性」があること。文化、宗教の違い。様々な価値観を認め尊重することを学ぶ機会が豊富。

 
シンガポールには本当に様々な国、文化背景を持った人々が住んでいる。わかりやすい例えとして、服装で言えば、カラフルなサリーをひらひらさせているインド人や、スタイリッシュなオフィススーツの人々、頭にはヒジャブをかぶり全身の肌を露出を抑えたモスリム系、ノースリーブにショートパンツのフィリピン系。そして、額にはビンディが付いていたり、顔に白塗りをしていたり(ミャンマー女性の風習)、手や足にそれは見事なヘナアートが施されていたり・・・文字にするとふーんという感じかもしれないが、みんな肌の色や顔形の違いも含め、ビジュアルにして見せたいくらいのバラエティの豊富さである。そんな人々が行き交っているのが日常なので、誰がどんな格好で歩いているかなんてことは誰も気にしていないし、驚かない。別にその辺を歩いている人ばかりでなく、みんなそういういでたちで普通に仕事をしており、学校の先生だって例外ではない。
そうは言ってもこちらで生活している子供にしてみたらそれが当たり前なので、「ふーん、あなたはそういう感じなのね。僕はこういう感じ。」くらいにしか思ってないのではないだろうかと思う。
ところが、ふとした時に、外見の違いや生活習慣の違いにはそれぞれ意味があったんだなー、なんていうことに気づき、日々学んでいく。そしてまた、その対比として感じる自分のアイデンティティ、というのがあるようである。友人同士の会話の最後、子供ながらに、「Because I’m Japanese!」などと、自信たっぷりに主張しているのを聞いたりするとちょっと感慨深いものを感じるのだ。

2. 同調圧力が少ない。「自分の気持ちや個性」を大事にできること。

同調圧力という表現が良いのかどうかわからないが、日本社会では「みんな同じであること」が前提になっていることがとても多いように感じる。「髪の色はみんな黒くなければならない」とか「運動会で競わず、手をつないでみんなでゴール」とかもそういった種類の価値観に端を発しているのではないだろうか。
これは先に書いたの多様性の話の延長線上にあるのかもしれないが、今の時代、「周りと同じにする」ということに、何の意味があるのだろうか。
 
特に子供の時というのは、本人にいくら個性や自立心に基づく気持ちや行動があっても、それを「自分の個性や自立心の芽生えなのだ」などと自覚しているわけでもなければ、自分の考えや意志として「自分の気持ちや個性を大事にしなくちゃ。」なんてことを考えることができるわけでもない。周りに受け入れられなければ、それらを押しとどめてしまうだけのこと。そうやって環境がそれを潰してしまったり、それらを表現することを肯定しなかったりすることがあるのならそれはとても残念なことだと思う。
 
幼い中でも日本でありがちだったのが、流行りのTV番組や人気のキャラクターの話題。「お友達がみんな知っている」のに自分だけ知らないのはやはり不安になったり、学校でつまらない思いをしたりするようだ。ところがこちらでは「みんな共通のこと」はそもそも少ない。自分の気にいっているテレビのキャラクターを誰も知らなければ、一生懸命その魅力をみんなに説明してまわることはあっても、「自分だけ違う」ことを気にすることはない。
 
違うことが当然の環境では、学校に着ていく服装やヘアスタイルだって自由自在。今でこそ制服だったりもするが、幼稚園時代は、スパイダーマンだったり、女の子ならキラキラのドレスにお化粧をしてきたり。別に何のイベントもない平日でもそんな感じだし、そんな振る舞いが目立ちすぎるということもない。
 
当然それぞれの個性や能力にだって違いがある。みんな相手のいいところ、素敵なところや凄いところを見つけ、そして自分にもいいところがあるのを見つけていく。「髪の色はみんな黒くなければならない」とか「運動会で競わず、手をつないでみんなでゴール」などと言う発想自体が生まれないし、もしもそんなことを言われたら意味がわからなすぎて固まるに違いない。
 
大したことではないように思うかもしれないが、こういうことって自分に自信を持つとかありのままの自分自身でいられる、つまりは自己肯定感、ということに割とつながってくるんじゃないかな、と感じている。子供時代にこれを育むことをせず、大人になってからいきなり「自分の個性を大事にしろ」とか「自分にしかできないことをやれ」って言われてもできるわけがないんじゃないだろうか。

3. 子供はみんなで育てるもの?人が優しくて寛容なこと。

アジア諸国では総じてそう感じるが、シンガポールも例外なく人が寛容だ。特に子供に対しては。ヨーロッパなどでは、明確に大人と子供のスペースや時間というものが区切られているようなところもあるかもしれないが、そんなムードは全くないと言っていい。
特に幼児期には、外で子供がいうことを聞かないなどというシーンが毎日のように起こる。そんな時、店の中なら外に連れ出す、泣き叫んでいる時は何はともあれ静かにさせるのがまず第一、というのが日本にいる時の私の対処だった。つまりは周りに迷惑をかけないことが第一で、子供の気持ちに寄り添うのはその後だ。
でもこちらに来てからそういうことがほとんどなくなった。例えばバスの中で泣き出したら、周りの人が一緒になって「どうしたの?」とニコニコ話しかけてくれるし、誰も迷惑そうな顔なんかしないので、自然に周りの迷惑について気にしすぎる必要がなくなるし、気持ちにも余裕が持てるのだ。
泣きたい、思うようにいかない、等、子供が気持ちを爆発させている時に子供に正面から向き合える余裕があるかどうか。その違いは大きい。

 

4. どんな言語でどんな国の教育を受けさせたいか?教育の選択肢が多いこと。

外国人が多いことから教育についても様々な選択肢がある。日本人学校だってシンガポールは世界的にも最大規模で、日本の地方の学校より規模が大きいくらいではないだろうか。
どの言語を最優先にするか、第二言語はどうするか、勉強にどの程度力を入れたいのか、IB教育(国際バカロレア)、イギリス系、アメリカ系、インド、シンガポール、日本・・どの国の教育プログラムに合わせるか、等。
とはいえ、学校というのは勉強や言語環境だけで簡単に決められない。その学校の民族的・文化的なバックグランドも子供の人格形成に大きな影響を及ぼすだろう。正直選択肢が多すぎて悩みは尽きない。よって、子供との相性や語学レベル、滞在期間などに合わせて転校するのも割と一般的だ。安易に転校などを繰り返すことはリスクも伴うが、このような環境をうまく利用することができれば、教育環境としてはかなり充実度が高いだろうと思う。

5. 大人になるまでスキンシップ?毎日ハグしてキスできること!

これは欧米型のコミュニケーションかもしれないが、機会があるごとに大人どうしてもハグ。学校の先生ともハグ。当然子供ともハグにキス。
どんなに短い時間のお別れでも母の足元でぐずぐずしていた、幼児の頃に比べたら子育ても楽になったと感じる一方、別れ(数時間の別れ程度だが・・)の時に後ろも振り向かずにさーっと走って行く背中を見てなんとなく寂しい気持ちにもなる中、少年、と言えるほどに成長した子供が未だに周りを気にすることもなくハグやキスしてくれるのはやはり嬉しい。
日本に戻った途端、周りに茶化されて、ハグもキスもしてくれなくなってしまうではないか、と今から不安に思っている。
 

6. 外国人は自分だけ?日本人であってもマイノリティにならないこと。

海外で生活するメリットはたくさんあるが、やはり学校やコミュニティにおいて「自分だけ外国人」で肌の色や習慣、言葉の習熟度が異なるなどということになると、何かと苦労や辛い思いをすることもあると思う。白人の中で自分だけがアジア系という中での学校生活を過ごした友人がいるが、本当の意味での友人を作るのに大変苦労したと言っていた。そう言った中では自己肯定感を育むのも大変だろうと思う。
その点、シンガポールではそれなりの割合で日本人が存在する。多くの幼稚園では2、3割の子供が日本人だし(地域と学校にもよる)小学校以降にインターを選択しても学校にもよるとはいえ大雑把に言って1、2割は日本人の在籍がある学校が多いのではないだろうか。
私がシンガポールに移住した際も、すでに幼稚園には多くの日本人の生徒がおり、先生の英語が分からなければお友達が助けてくれるし、日本人であることを理由に孤立してしまうことはなかった。これにはデメリットがないわけでもないのだが、まずは子供が委縮せずのびのびすごせることが第一と考えると良い環境だったと思う。