THE LAST PENGUIN...

日々考えたことや誰かの役に立ちそうなことを書きとめておこうと思います。

言葉にだけ頼らないコミュニケーション力。知らない言語で話しかけてきたおじさんに子供はどう返す?

 

 

バスの中で突然、理解できない中国語で話しかけてきたおじさんに4歳の子供はどう返す?

保育園に通いだして間もないある時、バスに乗り合わせたおじさんが息子に向かって笑いかけ、中国語で何かを問いかけた。すると息子は一瞬じっとおじさんの顔を見つめた後、にっこり笑いながら指を4本立てて(4歳!)おじさんに突き出した。おじさんは納得したように大きく頷くと、その後も何か話続けていた。
バスを降りた時息子に、「おじさんの言っていることわかるの?すごいね!まだ中国語はわからないかなと思っていたのに!」と言うと、「え、全然分かんなかった。」と。でもちゃんと4歳だと返していたではないか。よくよく聞くとあれは反射的にやったことらしい。確かにこちらの人は初対面でも子供によく話しかけてくる。そしてそんな時の質問は高確率で「いくつ?」だ。もちろん他の質問のこともあるが、シチュエーションと相手の表情から彼は「いくつ?」だと判断したのだろう。そしてその返しはおそらく正しかった。仮に間違っていたのだとしても、「バスで隣り合わせたおじさんと4歳の子供のコミュニケーション」としては申し分なかった。

 

どんな言語で話しかけられても、戸惑うことなどなかったはずなのに

考えてみれば、生まれてから日本語が理解できるようになるまで、赤ちゃんはその繰り返しで周りの大人とコミュニケーションを取り、単語一つ一つの意味を探り当て、言葉を習得してきたはずだ。それなのに相手の話す言葉が理解できるのが当たり前になると、いつからか、知らない言葉に対して臆病になってしまうのだ。
しかし彼のケースでは日本語を理解すると同時に、そこに少し英語が加わった。そしてシンガポールに来てからは中国語も。彼の周りにはいつも知らない外国語が飛び交い、少し言葉として理解できるようになると他の言語が加わってきた。いつも知らない言葉がそこにあるのは当たり前の環境でこれまでやってきたのだから、知らないおじさんに知らない言葉で話しかけられようがどうということはない。これまでどおりのやり方で精一杯答えるだけだ。

 

 

言葉に頼らないコミュニケーションセンス

自分の子供の言語習得(シンガポールにきてから習熟度合はともかく中国語を含めて身の回りの言語は3か国語となった)の過程を見ていると、子供は必ずしも「言語」だけでコミュニケーションをとっていないことに気づかされる。もちろん大人でもそうだが子供においてはそれが顕著だ。
何語で話しかけられようが相手の表情と場の雰囲気を察して直観的にボディーランゲージを含めて対応している。
それがどんなコミュニケーション手法であるにせよ相手の呼びかけに対する的確な回答であったときには私も驚いたものだ。もちろんとんちんかんなやり取りとなることも多いだろうが、このようなやり取りの繰り返しが言語習得に限らないコミュニケーションセンスを育んでいることは間違いないのではないだろうか。言語のみならず人種も文化も入り混じるこのシンガポールで成長するメリットの一つかな、と思っている。